心に響いた言葉(長いよ)
BRS代表の、ぶるたくです。
皆さんは今までの人生で心に響いた言葉ってありますか?
私は高校生のころに同級生から影響を受けた言葉がありました。
ちょっと暗い話になります。
私は東京から大阪に越してきた中学3年〜高1年の2学期まで地獄のようないじめに遭いました。
きっかけは私の言葉が標準語だったからです。高校1年の2学期と書いたのはそこで高校を退学したからです。
意味なく殴られたり掃除道具のロッカーに閉じ込められて、開けてもらえたと思い外に出ると
一斉に唾をかけられたり、体育の授業から戻るとカバンの中身が出されてて、
代わりに鞄は飲んだジュースのパックやゴミ箱から拾ってきたゴミなどでパンパンで異臭もしてました。
校庭の端の水道で泣きながら鞄を洗ったのを覚えています。
この頃は毎日自宅マンションの屋上に上がり下を眺めては思いとどまる日々でした。
生活指導の教師に訴えても「お前がわざと関西弁を喋らないのが悪い」と言われ
そのまま状況が改善しないまま、10月に退学届を提出した時に今後どうするのか聞かれました。
私は料理が好きだったので翌年の春に調理師の専門学校か定時制の高校に入り直すと言うと
「お前みたいな奴は、どこに行ってもまた続かないで辞めるわ!」と送り出してくれました。
そして翌年定時制の高校に入学したのですが、皆さん知ってましたか?
当時の定時制高校って1年から2年に進級するのって半分くらいなんですよ。
半分は退学か留年なんですね。
しかも4年制なのですが4年で卒業するのって10%強程度なんです。
結果から言いますと私は4年で卒業したのですが、その定時制高校で出会ったクラスメイトの発言が
何度か響いたんですね。
話を戻すと私の数少ない中学3年〜高校1年時の友人(私とは別の高校です)が高校1年の時に恐喝されて
学校中で大問題になったことがありました。
加害者は停学など処分され、ボス格の2人に関しては退学処分となりました。
その頃は私も高校を中退していて不安な日々を過ごしていたので、
退学になった人達も大変だなと思っていたのを覚えています。まあ自業自得なのですが。
勘の良い方はもうお気づきと思います。私も仲良くなって1年以上過ぎた頃に
前述の定時制高校の友人がこのボス格の内の1人だったと知りました。
かれも定時制高校に入り直してきたのです。
彼は負ける事を凄く嫌がる性格でした。
体育の授業で卓球をしたのですが、卓球経験のない彼より体育教師の方が上手いわけで。
コテンパンに負けた彼は卓球の授業があと3週間続くと聞いて
「最終日にもう一回やらせろ!」と言ったのです。その日から放課後めちゃくちゃ練習して、
そして3週間後ギリギリながら件の体育教師に勝ったのです。
彼の発した言葉が「だって、負けたら悔しいやん」でした。
その言葉はいじめにより「負ける事が当たり前」となっていた
私の心に頑張る気持ちを甦らせてくれました。
その後、開催された校内バレーボール大会でクラスのキャプテンになった私は
彼の言葉をパクり「負けたら悔しいから勝とうぜ!」と鼓舞して全学年16クラス参加の中、
優勝する事が出来たのです。
さらに学校とは関係無しにボクシングジムに通っていたのですが、
彼の言葉に影響されてくじけずに過ごせました。か
視力が足りな過ぎてプロにはなれませんでしたが、、、。
彼はその後も、勝つのが当たり前の前評判で臨んだ競技者が完敗したのを観て
「ただ負けるだけなら俺でも出来る!プロなら勝たんかい!」
と、言ったのも当時はボクシングも負けたらいけない!と思える言葉でした。
ちなみにこれは1990年の秋の天皇賞でオグリキャップが負けた時のセリフです。
いま考えたら実はペラッペラの言葉なんじゃないかと思っております。
だってウインズ道頓堀の一階にある居酒屋丸一屋で聞けそうなセリフなわけです。
若さって怖いですね。
そんなこんなで私も今は仲間に囲まれて幸せに過ごしてます。
いじめのおかげで高校卒業は20歳でしたけど、
そんな回り道があったからこそ今があるわけです。
ちなみにオグリキャップはこの後ジャパンカップでもボロ負けして
年末の有馬記念で奇跡の勝利をあげて引退しました。
彼の言った「プロなら勝て!」の言葉を否定するように有終の美を飾ったとさ。
結局は何の話や!!!!!!
そうそう!
素敵な生活指導の教師がいた大商学園って共学になってるのね!!
あと友人と一緒に退学になってたボス格のもう1人は
数年後パチンコ屋に貼られている指名手配のポスターに載ってました(´・ω・`)
で!12月25日のBRS興行宜しくね!
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